西原龍哉 の パレスチナ スタディー・ツアー
| パレスチナ 〜その5〜 |
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ベツレヘムにある難民キャンプを訪れました。ベツレヘムはエルサレムから10キロ程度に位置しているのですが、エルサレムとベツレヘムを隔てる分離壁・ターミナル型の検問所を通過しなければなりません。 そのためたった10キロの道のりも一苦労です。バス・タクシーと乗り継ぎ、やっと到着したのがベイトジブリン難民キャンプです。 初めて難民キャンプを訪れて「えっ」と思いました。「難民キャンプ」と聞いて「テント暮らしの人たち」を想像していたのですが、そこはコンクリートで造られた建物が混在している一つの街でした。 聞くところによるとキャンプで生活しているのは1948年に第一次中東戦争でベイトジブリン村からに移り住んできた人たちで、驚くことに60年という長い間にわたって難民生活を強いられてきたといいます。 さらに、その町で起こった2年前の出来事を聞き愕然としました。 ある日、ベツレヘムの町にイスラエル兵がやって来ました。そしてあるホテルを占拠して、突然そこに住んでいるパレスチナの人たちに対して攻撃を始めたのです。 家の前を装甲車が走り、夜外出をすれば機関銃で攻撃される、そのため外出禁止令が発令される、そんな生活が2週間も続いたといいます。 そこで普通の生活をしている人たちの日常生活はぶち壊されました。現在でもその経験は子どもたちのトラウマになっています。
ベイトジブリン難民キャンプには、誰でもが集まれるセンターがあります。ここでは、生まれたばかりの赤ちゃんからお年寄りまでたくさんの人たちが集い、勉強をしたり、ダンスや卓球などもします。下の写真はパソコンを勉強している様子です。
今回私たち一行のために、センターの年少組が劇を披露してくれました。 「刑務所にとらわれた人とその母」という題で、2年間の練習を積んだ初舞台です。伝統的な音楽が流れ、お母さんお父さんに見守られる中、みんな一生懸命に演じてくれました。 現実に政治犯として牢屋に入れられている両親がいる子どもたちもいるといいます。何とも言えない心境です。
難民キャンプではたくさんの出会いがありました。その中で忘れられない言葉があります、それはセンターの校長先生の一言です。 校長先生に「子どもたちに望むことは何ですか」と質問をすると、少し考えてから「自分のような生活をさせたくない」とおっしゃいました。 生まれた時から難民としての生活を強いられ、給料も安いが、何よりも自由がないことがつらいといいます。罪もなく、牢屋に入れられることもあるといいます。 また、ある少年にこう質問されました。「あなたの名前は何ですか?」。そして、私は答えました。 私も「お名前は?」と聞き返そうとした瞬間、子どもから「あなたのお父さんの名前は何ですか?」と聞かれました。一瞬止まりました、私は今まで会った相手の両親の名前など考えたこともなかったからです。 難民キャンプの子どもたちは厳しい環境下を生きています。その中で、お父さん・お母さん・友達・ご近所さん・・・みんなお互いに助け合い、深い絆に結ばれた多くの人々の願いの中を生きているのでしょう。とても大切なものを教えてもらいました。
世界のどこで生まれてもみんな1つのいのちを生きています。しかし、生まれてくる環境が異なれば境遇も異なります。どこにいっても子どもたちの笑い声があり、騒ぎ声があり、笑顔があるような世界になってほしいと実感しました。 今回は日本国際ボランティアセンターJVCパレスチナ担当藤屋さん・小林さんのコーディネートでのスタディーツアーでした。 JVCでは世界のさまざまな地域を支援しています。同じ地球に生まれても誰にも知られずに死んでいく命もあります。その命に光を当てる活動をしています。 まだまだ私の知らないパレスチナの現実があります。以下のホームページを参考ください。 http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/palestine/index.html (日本国際ボランティアセンターHP) (終) | ||||||||||
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